うちの末っ子は、愛情のためでもお金のためでも食洗機を空にしませんでした。文字通り、両方試したのです。それから友人が、自分の子どもたちはあるアプリで「クエスト」をしていると言うのを聞いて、ただの好奇心から、同じ三つのお手伝いを紙の表にして、「仕事」の代わりに「クエスト」と一番上に書いてみました。他には何も変えていません。同じ食洗機、同じ子ども。彼はその週、一度も頼まれずに二回それをやりました。
言葉そのものがすべての仕事をしたとは思っていません。でもそれは何か本当のことを教えてくれました。抵抗は本当は食洗機についてではなく、形のないタスクを渡されることのフラットさについてだったのです。ゲームには形があります。ふつうに提示されたお手伝いにはありません。
お手伝いをゲーム化することが実際に変えるもの
お手伝いをゲームに変えても、仕事そのものが楽になったり楽しくなったりするわけではありません。食洗機に入れることは、ゲーム化されてもされなくても、まったく同じくらい退屈です。変わるのはその周りの包み方です。目に見える目標、進んでいる感覚、道すがら集められる何か、そして見えてくる終わりです。
ゲームは、ふつうのお手伝いリストが苦手な四つのことを得意としています。進捗を目に見える形にすること、小さな一歩も大きな一歩と同じように報いること、明日また戻ってくる理由を与えること、そしてフラットなリストに勢いをもたらすことです。そのどれも、本物のコインやアプリを必要としません。シール付きの紙の表でも、ほぼ同じ仕事ができます。
これはデジタルである必要はまったくありません。我が家の表は1年間、冷蔵庫に貼ってありました。三つのお手伝いを表す3つの四角、こなすたびにシール、そして角には、その週のごほうびの小さな絵を貼っておき、常に見える状態にしておきました。今振り返ると恥ずかしいほどシンプルで、そのあと試したもっと凝った仕組みと同じくらいうまく機能しました。
実際に効く四つの要素
リストの代わりにクエスト
リストは静止しています。クエストには形があります。始まり、途中、そして終わりに何かがあります。お手伝いをクエストの一部として名指しするだけで、言葉のうえだけでも、「今日のクエストはキッチンだよ」と言うだけで、「食器を洗って」という言葉自体には持てない始まりと終わりが生まれます。
レベルと連続記録
ゼロにしかリセットされない進捗は、悪い一週間がそれ以前のすべての良い週を消してしまうと子どもに教え、それは一日休んだだけで完全にあきらめさせてしまう早道です。恥のない連続記録が意図しているように、休んだ一日を生き延びる連続記録は、悪い一日を罰することなくやる気を保ってくれます。
何かを集めること
たいていの年齢の人間は、セットを完成させるのが好きです。一箇所だけ空いたシールの列は、単なる数字よりずっと強く子どもを引きつけます。集めるものが何であるかはあまり重要ではありません。バッジ、スタンプ、小さなおもちゃ、少しずつ埋まっていく絵。その引力は、シールアルバムを完成させたくなる引力と同じものです。
意味のあるごほうび
最後に何のごほうびもないゲームは、余計な手順が増えただけのやることリストです。ごほうびは高価である必要も、物である必要さえもありません。選んだ映画の夜、保護者からの丸ごと1時間の注目、あるいは実際の小さなおもちゃでも、子どもがそれが何のためかに発言権を持っていて、そこにたどり着くまでの待ち時間がその年齢にだいたい見合っている限りうまくいきます。
何がゲームを操作的ではなく公平にするか
やる気を引き出すゲームと、静かに子どもを利用してしまうゲームの間の線は見た目より細く、わざと意識しておく価値があります。
公平なゲームはルールが動きません。子どもが近づくたびにゴールポストが動く、「実はもう5つ必要」となると、ゲームはゲームであることをやめて罠になり、子どもはすぐにそれを見抜きます。
公平なゲームはごほうびの仕組みを通して罰を与えません。しつけの道具として、すでに稼いだコインや進捗を取り上げることは、自分が築いたものは何も本当には安全ではないと子どもに教え、狙い全体を台無しにします。結果はゲームの外にあるべきで、内側からの取り消しであってはいけません。
公平なゲームは本物の努力に対して支払います。未完成の仕事の写真を送っても完成した仕事と同じコインがもらえるなら、そのゲームは子どもに完了を装うことを教えてしまいます。仕事そのものをすることではなく。それに気づいたら、子どもがどうやって仕組みをごまかすことを覚えるかとあわせて読む価値があります。
公平なゲームは、子どもが手伝う唯一の理由にはなりません。どんな小さな親切や貢献にもコインを結びつけなければ起きないようになっているなら、どこか上流で何かがおかしくなっています。一歩下がって、いくつかの仕事を、ごほうびなしの、単にこの家で暮らすことの一部として作り直す価値があります。
公平なゲームは、悪い日をドラマなしで生き延びます。休んだ一日が、子どもが築いたものすべてを静かに奪ってしまうなら、そのゲームは、挑戦することのほうが挑戦しないことよりリスクが高いと教えてしまい、それはお手伝い表がそもそも意図していたこととまったく逆です。
ゲームが効かなくなるとき
お手伝いのゲーム化は恒久的な直し方ではありません。「効かなくなった」がどう見えるかを知っておく価値があります。驚かないためです。
最初のサインはたいてい、以前なら単純にやっていたはずのことも含めて、何かに同意する前に「コインいくつ?」と聞くようになることです。それはごほうびが、手伝うことは大切だという子ども自身の感覚を押しのけてしまった状態で、それを見たらごほうびを上げて埋め合わせるのではなく、しばらくゲームを控えめにする価値があります。
二つ目のサインは、仕組みそのものへの飽きで、たいていシールを少し子どもっぽく感じ始める年齢のあたりで訪れます。その時点でゲームの要素はフェードアウトさせてよく、理想的にはそのあとに、包みを取り除いても生き残る習慣が残ります。それこそが最初から本当の目標だったからです。
三つ目の、あまり目立たないサインは、子どもがお手伝いそのものではなくゲーム自体を攻略し始めることです。小さな仕事を三つチェックするほうがひとつのきちんとした仕事をするより得だと気づく、といった具合です。これは不品行ではありません。子どもがルールを正しく読み取り、仕組まれた通りにインセンティブに従っているだけで、たいていは子どもではなくルールを調整する必要があるということです。
保護者からのよくある質問
お手伝いのゲーム化は本当に効くのか、それともただの見せかけか
フラットなリストに抵抗する子どもにとっては、特に入り口として効きます。しかしそれは習慣の代わりではなく、習慣を包む包み紙です。目指すのは、最終的にはただそこで暮らすことの一部だからという理由でその仕事をする子どもで、ゲームはその子を始めさせる仕事をしただけです。
お手伝いのゲーム化はどの年齢に向いているか
子どもがシンプルな目標を心に留めておけるようになる年齢からで、とても短いものなら4歳や5歳あたりから、10代前半まで通用します。そのあとは、たいていの子どもがゲームには一歩下がってほしいと思い、本物の主導権、そしてしばしば本物のお金を求めるようになります。
ごほうびはいつもコインやポイントであるべきか
いいえ。ポイントやコインは柔軟で目に見えるのでうまく機能しますが、最終的にはそこにたどり着くために使われた通貨よりも、実際のごほうびのほうが大切です。子どもが選び、大切にしているごほうびは、使い道のない大量のポイントよりも効果を発揮します。
お手伝いのゲーム化は責任感を教えることの代わりになるか
いいえ、そのつもりもありません。ゲームは最初の退屈な繰り返しを乗り越えやすくしてくれますが、習慣と主導権の感覚は、いつもと同じように、一貫性を通じて、そして最終的には足場をより多くではなく少なくしていくことで築かれる必要があります。
Pluckとの関わり
これは、だいたいのところPluckの前提そのものです。お手伝いはマップの上のクエストになり、小言を言う声の代わりにバディがいて、連続記録は一度の悪い日で消えるのではなくおき火によって保たれ、コインは決して本物のお金にはならず、保護者が実際に用意すると選んだごほうびに使われます。Pluckは上記の公平さのルールに正確に沿って作られています。稼いだコインを取り戻すこともなく、未完成の仕事にごほうびを払うこともありません。Pluckが食洗機を空にすることを永遠に楽しくしてはくれません。それが目指しているのは、お金ではないコインがずっとそうであるように、その仕事がただの仕事になるまで、フラットで抵抗の強い最初の数週間を子どもが乗り越える手助けをすることです。